『嫌われる』という現象について
嫌われる、とはなんでしょうか。
蛇蝎のように嫌われる ・ 忌み嫌われる ・ 忌避される ・ 爪弾きにされる ・ タブーにされる ・ タブーとされる ・ タブーと見なされる ・ 蛇蝎のごとく嫌われる ・ 毛嫌いされる ・ 嫌悪される ・ 嫌悪感を抱かれる ・ 目の敵にされる ・ つまはじきにされる ・ ひどく嫌われる ・ 嫌がられる ・ 疎まれる ・ 遠ざけられる ・ 嫌われる ・ 煙たがれる ・ 避けられる (上記リンクより引用)
類語を調べると、色んな言い方があるようです。例えば、「蛇蝎のように」「嫌悪される」「忌み嫌われる」など、厳しい表現があります。これが人間関係であれば、いずれの言葉でも、信頼関係が成り立ちにくいか破綻しているように思えます。
人間関係における原因として、気持ちが悪い、迷惑をかけられる、不愉快である、薄気味悪い、など、「一緒にいたくない人物」とみなされると、いわゆる「嫌われる人」になるようです。
「蛇蝎のごとく」という言葉に着目すると、「動物のように、自分の感情や都合だけが生活の全て」というような場合が、一番顕著に嫌われるのだと思います。具体的には、「ストーカー」のように、相手の意思に関係なく自分の欲求や都合を絶対視する人が、典型的ではないでしょうか。「彼女はツンデレで、僕の事を本当は好きなのに上手く意思表現できないから、教えてあげなくてはならない」などと、相手の意思を自分の都合のいいように捻じ曲げて自分を顧みない人になると、周囲は彼を同じ人間と思わなくなる、それが「嫌われる」という現象の一つの構造ではないでしょうか。
最近では人間関係を理由にした離職が注目されています。人間関係という理由を大まかに考えると「職場に嫌いな人がいた」「職場で嫌われた」という二つが大きいように思えます。職場とは事業に貢献する目的を同じくした人が集まる場であり、友達同士の集まりとは違う場です。半ば公共の場所である職場で、マナーや道徳を弁えない人が働き続けるのは難しく、いくら能力があっても職場の紐帯に傷を入れる事が多くなるでしょう。
誤解が原因で職場に居づらくなるというのもよく聞く話ですが、あまりにも誤解が立て続くようであれば、自分自身に何らか原因を求めるのも必要なのかもしれません。少なくとも「マナー違反は犯罪ではないから許される」という考えは軽蔑の対象となっても仕方がない事です。「薄気味悪い人物」を言い換えると、「理解不可能(理解したくない)な人物」と言っても過言ではありません。そういう人間が、自分自身についてどう考えているのか、想像するのは大変難しい事です。おそらくは自分に対して無批判なのだろうと推測する以上には理解し難い所です。
現代社会は、物質的に大変に豊かになりました。「衣食住足りて礼節を知る」という言葉を、今一度考えてみる必要があると考えます。