社会の未来を考えたいブログ

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LGBTのQOL(性的マイノリティの生活の質について)

LGBT(性的マイノリティ)の概念が世に広く知られるようになって、久しくなります。未だに差別や偏見が根強いとされていますが、一方でLGBTが加害者となる性的暴行や、同性に対するセクハラ紛い、あるいは失礼な態度など、LGBT側に道徳や倫理・マナーが欠けていると言わざるを得ない事件も広く認知されるようになりました。

QOLというのは、社会が個人に対して一方的に与える物ではありません。個人が自らの個性によって望む生活を得る事が、必要不可欠です。

特に人権という仕組みの中でQOLを高める為には、社会貢献により良い社会作りの実現に参画する必要があります。人権とは万人が万人に対して保障する権利であり、約束です。LGBTに限らずマイノリティ全般において、差別を無くす、偏見を払拭するという目的を目指すためには、「自らが担う義務を自由に選択し、人間として基本的人権の根拠となる主権者たり得る」という矜持が必要です。特に、マイノリティなセクシャルが病気ではないのであれば、まず第一に正すべきは、道徳・マナーを身に付けるという次元であると考えます。

性的な醜聞は何もLGBTなどに限らずあります。セクシャリティとして最も多い異性愛者については言うまでもなく、「恋愛の自由」を標榜して聞くに堪えない事件を多く起こしています。不特定多数との性的交渉は性病拡散や望まぬ妊娠のリスクを上げ、道徳的な頽廃と同時に医療保健の分野における問題の温床となっています。同性愛者においては妊娠のリスクはないとしても、独特な性交渉の方法による性感染症の蔓延が異性愛者よりも高いリスクがあるとされています。「妊娠しないからコンドームは不要」という浅はかな考えが背景にあるという判断をしても、的外れではないでしょう。

LGBTに対する差別偏見の根強さや嫌悪感は、LGBT自身にも責任を帰するべき部分があると思えます。その要因の一つとして、例えば「LGBTによるLGBTの為のLGBTが呼び掛ける道徳」というような発想、または「LGBTが提案する道徳と人権へのコミット」という運動が無いと思えるほど、LGBT自身の義務と道徳について論じられる事はありません。

人権とは何か、繰り返しになりますが「自らが担う義務を自由に選択し、人間として基本的人権の根拠となる主権者たり得る」と私は考えます。今現在のLGBTの状況について、あまりにも「LGBTの人権」というのが片務的に強調されていて、LGBT自体がLGBTのあるべき振舞いについて何かを考えようという機運が無いのは、LGBT愛玩動物に等しい存在にしてしまうでしょう。

誤解が無いように言えば、LGBTは真っ当な人間である、そこに異論はありません。ですが、総じて道徳の欠いた人間でないかどうかは分かりません。今後においていつまでも同じではないでしょうが、マジョリティが一方的に与える人権が正解とは、釈然としない所です。

話は尽きない所ですが、続きは次の機会にしたいと思います。